夏の夜の夢 観劇メモ~するのは君への礼賛だ!~

 

中日が過ぎるとともに私の千秋楽がやってきました。

 

自担の初の外部舞台。そして、私は新規なので、板の上に立つ優吾を見るのは初めてでした。

プレッシャー感じてないかな?緊張してないかな?台詞難しいって言ってるけど大丈夫かな?……と大変失礼ながら心配ばかりしていました。でも雑誌のインタビューで、ANNで、緊張を感じながらも前向きに舞台と向き合っている姿に触れて、安心すると同時にカッコいいな優吾、そういう姿勢をファンに見せてくれるのがとても好きだ!なんて思っていました。

そうして、My初日の10日(土)に見た優吾くん。。

想像の遥か遥か上、ものすごいところを飛んでいました。

えっ、まじか。優吾、こんっっっなにすごいんだ。と度胆を抜かれました。

大我さんも言っていたけれど、まず発声。ハリがあってよく通る。いい声。そしてハキハキした言葉。聞き取りやすくて一言一言がしっかり伝わってくる。本当にびっくりした。そんな声が出せるんだ!?と思ったし、優吾めっちゃ声がいい!!と思った。私は優吾の、歌っている時の時折不思議と少年っぽくも聞こえる声が大好きなんですが、ライサンダ―もヘレナに必死に縋りつくシーンで時々そんな声が出ていてめっちゃ好きでした。

演技は全然心配していなかったんですけど(なぜなら私は優吾のドラマでの演技が大好きなので)、これもまた表現力が素晴らしくって震えました。特に、パックがディミートリアスのフリをしてライサンダーとディミートリアスを遠ざけるシーン。感情剥き出しのライサンダ―の「ちくしょう!」と続く「来てくれ、優しい朝よ、待ちに待ったその薄明かりを見せてくれ。そしたら~~~」の台詞の悔しそうな声色、表情、言葉の美しさも相俟って超・好きなシーンでした。ここの演技が回を追うごとに迫真の演技になっていて、どんどん成長していて毎回ゾクゾクしました。

あと、本人も言っていた媚薬を塗られたあとの豹変っぷり。

この豹変っぷりを演じられる人、という点でキャスティングされたのでは?と思うくらいにハマっていた。前半のハーミアへの真摯な愛、そばで寝かせておくれ、と縋るぞっこんな感じが可愛いのも相俟って、ヘレナを口説きまくるのも、ハーミアに暴言、罵声を浴びせるのも、どう見たって面白い。あのハーミアとのラブラブでキュートなやり取りや表情と、「なぜ俺のあとを追う!」の本気で嫌悪しているような怒鳴り声、豹変っぷりは優吾の憑依能力(憑依能力?)が最大に活かされていたように思う。

これがめちゃくちゃ活きてたのは堺小春ちゃんの凄まじさがあるからなのですが、いったんここでは置いておきます。

そんなこんなで、とにかく、舞台の髙地優吾くんは素晴らしかった。

絶対絶対コンスタントに舞台に立ってくれなきゃ嫌だ!!!ってくらいに素晴らしかった。

そして、優吾も素晴らしかったけれど、何よりこの舞台の音楽、照明、演出、出演者の皆さん全てが素晴らしかった。

特に演出は原作の台詞にもある「想像力」を掻き立てられるもので、あれこれ考えているととてもワクワクしてくる。

荒唐無稽な夢や想像力の働きをたわいもないものと切り捨てず、そこに意味を見出そうとするのは、夢のような人生そのものに意味を見出そうとするシェイクスピアの哲学である。─新訳 夏の夜の夢 河合祥一朗/訳 解説より

あれこれ考えられるこの舞台に出会ったことで、なんだか人生が少し豊かになった気がする。想像力を掻き立てる時間が楽しくて幸せに思える。

そんな舞台に出会わせてくれた優吾くんありがとう。

そして優吾くんをキャスティングしてくれた人、まじでまじでありがとうございます。いつか理由を教えてください(一生知ること無さそう)

オタク的ライサンダ―好きポイントをまとめようと思ったけどたくさんありすぎてまとまらなくなってきたのでいったん下書きしておいた演出についての考察、妄想、感想を置いておきます。

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・セットは鳥居と揺れるランプが日本の夏って感じで少し不気味。「夏の夜の夢」なのに桜が咲いている。この季節のあいまいな感じは原作の解説にあった通りなのかな。→訳者あとがきより「ミッドサマー・ナイトは夏至祭六月二十四日の前夜二十三日のこと。でも台詞では五月祭とあるので五月祭の前夜四月三十日のこと」四月三十日ってもう桜散ってるよね、と思ったけど演出・舞台セットのモデルになっている福島県檜枝岐村はもしかして四月末でも桜咲いてるのか…?(ちなみに、原作読んでない方いたらぜひ劇場で売っている河合祥一朗先生訳の原作買ってみてください。今回の舞台の帯付きで記念になるし、なにより舞台の台詞はこの原作そのままだよ!)

・山から降りてくる演者がミノと笠を被っている=神の依代であることを演じる、憑依するという意識の象徴。山から降りてきた「夏の夜の夢一座」の俳優たちが劇中劇として「夏の夜の夢」を演じる(プログラム 制作ノートより)
車椅子の子供、その子の車椅子を押す優吾、その子を抱える宇梶さん。もしかしたら、家族でこの一座にいるのかもしれない。
聞こえる現代の音が、ここが現実世界であることを示してるように思う。
冒頭の登場シーンは携帯の音や街中の雑踏という感じ。ラストで聞こえてくるのは英語、赤ちゃんの泣き声、戦争や、今の先が見えないコロナ禍を彷彿とさせるような、不穏にも聞こえる音。そんな時代を憂いた彼らの神への「奉納」「祈り」だったのかもしれない。なんて最近は考えている。

・車椅子の男の子が妖精たちの手を借りて立てるようになる(憑依する)シーン、鳥居から真っ直ぐ光が降りてきていて、鳥居の真ん中は神様の通り道なので神の加護を貰っているかのよう。自由に走り回れる彼の夢。想像の中だったら可能性も無限。

・だからこそ、ラスト、男の子が立てなくなってしまうシーンで私は毎度泣いてしまっていた。夏組パックのあの必死に叫ぶような「おやすみなさい」が堪らなくて涙腺ボロボロ。そしてそんな男の子を抱きしめるライサンダーを演じた彼。とんとんと何度も男の子の背中を叩く彼。抱き締める背中もなんだかやるせなさや切なさを感じて、彼が背負っている傷とはいったい…?

一公演だけ、パック役の男の子が天に向かって手を伸ばしていた回があった。助けをもとめているのか、楽しかった夢を名残惜しんでいるのか…。

・ラストのパックの台詞のところ、客席が明るくなっていくのが、「夢から覚めた」と思わされて、照明の使い方が素晴らしすぎる。

・制作ノートを読む限り、彼らは生きた人間だと思うけれど、日本の夏を感じるあの鳥居、揺れるライトを見ているとお盆を彷彿とさせるし、舞台に出てくる妖精は日本で例えるなら妖怪かもしれない。演者たちの精気を感じない妖しい佇まい。今見ていたのは幻だったんじゃないか、と思うような余韻。もしかしたら人ならざるものが、わたしたちに夢、幻を見ていたのかもしれない、なんて想像してしまう。